抱きしめてほしいヒッキーと抱きしめられない安室さん
なんのこっちゃってタイトルからこんにちは。 あまり長いタイトルが付けられないので最初にもう少し詳しく説明すると、ヒッキーの「大空で抱きしめて」と安室さんの「TSUKI」の歌詞の一部。 ふとTSUKIを聴いてたときに、先日書いた亡くなった人への想いが綴られている歌たちと、TSUKIはその逆だなぁなんて思いながら聴いていた。旅立っていってしまう私、いなくなったあとでも愛する人の幸せを願っている歌。自分がいなくなっても、空の上にも風の中にも幸せが溢れるように、抱きしめられなくてその胸に光を灯したい、死んだら何もできなくなてしまうけれども、せめて想いだけは紡がれるようにとたくさんの願いが詰まっている。 歌詞を書いているのは安室さん自身ではないけども、でも歌詞の世界観を表現するのは安室さん。ライブを見れば安室さんが歌詞にどう浸透しているのか見て取ることができる。 ヒッキーの大空で抱きしめて 一方で、生きている人と空に行ってしまった人両方の気持ちを歌ってるヒッキーは空を見上げながら、無理を承知で何度も何度も抱きしめてと願っている。「大空で抱きしめて」の説明として、まだヒッキーの口から語られてはいないけど、私はお母さんのことを歌っていると思っている。 以前にも書いたことがあるんだけども、藤圭子さんが亡くなったときに思ったことが、これからヒッキーがどんな曲を作ろうがきっとお母さんの面影を探してしまうだろうなぁということ。亡くなる前に作られた作品と比べて、それ以降の歌というのは曲から感じる自由さが多少なりとなくなってしまうことを意味していた。 ヒッキーの歌詞には死というものが色濃く投影され、そんなヒッキーの死生観に共鳴する部分がとてもあって、その思想は一体どこから来るのだろうかとヒッキーの好きな小説、インタビューや対談を読み漁っている時期があった。「宇多田ヒカルの思想」というものを、自分の中で描き聴いてきた曲が、藤圭子さんが亡くなったことでそれ以降の曲は思想ではなく、リアルな出来事として想像できてしまう。それまでだってもしかしたら近し人の死を体験したことから形成された思想かもしれないけど、それは表立って語られることはなかったから誰か特定の人を想像することはなかった。 ある対象者をおいて曲を聴いてしまうということは、今までの曲の聴き方からしたら全然...