抱きしめてほしいヒッキーと抱きしめられない安室さん - Twitterボットはディーバの夢を見るか

抱きしめてほしいヒッキーと抱きしめられない安室さん

2017/07/25 16:09

なんのこっちゃってタイトルからこんにちは。

あまり長いタイトルが付けられないので最初にもう少し詳しく説明すると、ヒッキーの「大空で抱きしめて」と安室さんの「TSUKI」の歌詞の一部。

ふとTSUKIを聴いてたときに、先日書いた亡くなった人への想いが綴られている歌たちと、TSUKIはその逆だなぁなんて思いながら聴いていた。旅立っていってしまう私、いなくなったあとでも愛する人の幸せを願っている歌。自分がいなくなっても、空の上にも風の中にも幸せが溢れるように、抱きしめられなくてその胸に光を灯したい、死んだら何もできなくなてしまうけれども、せめて想いだけは紡がれるようにとたくさんの願いが詰まっている。

歌詞を書いているのは安室さん自身ではないけども、でも歌詞の世界観を表現するのは安室さん。ライブを見れば安室さんが歌詞にどう浸透しているのか見て取ることができる。

ヒッキーの大空で抱きしめて

一方で、生きている人と空に行ってしまった人両方の気持ちを歌ってるヒッキーは空を見上げながら、無理を承知で何度も何度も抱きしめてと願っている。「大空で抱きしめて」の説明として、まだヒッキーの口から語られてはいないけど、私はお母さんのことを歌っていると思っている。

以前にも書いたことがあるんだけども、藤圭子さんが亡くなったときに思ったことが、これからヒッキーがどんな曲を作ろうがきっとお母さんの面影を探してしまうだろうなぁということ。亡くなる前に作られた作品と比べて、それ以降の歌というのは曲から感じる自由さが多少なりとなくなってしまうことを意味していた。

ヒッキーの歌詞には死というものが色濃く投影され、そんなヒッキーの死生観に共鳴する部分がとてもあって、その思想は一体どこから来るのだろうかとヒッキーの好きな小説、インタビューや対談を読み漁っている時期があった。「宇多田ヒカルの思想」というものを、自分の中で描き聴いてきた曲が、藤圭子さんが亡くなったことでそれ以降の曲は思想ではなく、リアルな出来事として想像できてしまう。それまでだってもしかしたら近し人の死を体験したことから形成された思想かもしれないけど、それは表立って語られることはなかったから誰か特定の人を想像することはなかった。

ある対象者をおいて曲を聴いてしまうということは、今までの曲の聴き方からしたら全然自由じゃない。良いとか悪いとかではなく、ただそれがなんだか悲しいかった。藤圭子さんが亡くなった2013年の8月にそう思った。

でも去年、2016年にヒッキーが復帰したときに発売された「花束を君に」と「真夏の通り雨」を聴いたときに、そんな悲しさは一気に吹っ飛んだ。亡くなった人への気持ちを実直な姿勢で語られた言葉を聴いて、今までにないリアルさで、死に対しての姿勢や喪失感を感じることができた。

NHKに出演したときのインタビューで復帰してから一番嬉しかった感想が「より肉体的になった」と言われたことだそうだ。とてもわかる。
死がマイナスということではなく、宇多田ヒカルという人の一部となったわけだけども、マイナスではないにしても「死」というものが人生においてとてつもなくデカイ出来事だから、リスナーとしてその面影をちょっとしたことで考えてしまうのは致し方ない気がする。

話を戻すと「大空で抱きしめて」の歌詞の中で「夏の花が散るころに笑顔で僕を迎えに来て」とか「純なあなたが」というのがあるんだけど、お母さん以外のことが想像しにくい歌詞を入れ込んでくるところがヒッキーのニクイところ。藤圭子さんが亡くなったのが8/22の夏の終わり、本名は宇多田純子さん。

また、この歌には私と君と僕とあなたが出てくる。ヒッキーの歌って小説みたく話し手が変わるのがとても面白い。私という人は歌い手のヒッキー、君と僕はイコールで、あなたも君とイコールの人物だと思う。空の上にいる僕/君/あなた、すなわちお母さん。君とあなたを使い分けたのはどういう意味があるのかわからないんだけど、もしかしたら別の人なのかしら。もしそうだとしたらどんな物語なんだろう。

天翔ける星、という歌詞もあるから、発売が7/7も近かったから七夕の織姫さまと彦星さまって設定っていうのもありかしら。

2016年に出演したNEWS ZEROのインタビュー内で「真夏の通り雨」はお母さんのこと歌っているのかということストレートに聞かれていて、それに対してヒッキーは「私にとっては母親」と答えており、でも40~50代の女性というイメージがあったと語っていた。

てっきりお母さんのことだけを思い描いて書いた歌詞なのかと思ったら、それだけじゃなくて別のイメージがあって物語が進行していただなんてめちゃ面白い。それにちょっと話は逸れるけどヒッキーは制作中の仮タイトルがいつも変で「大空で抱きしめて」の仮タイトルがなんだったのか気になる。




というか、大空で抱きしめてのことだけを書こうと思ったら死がなんちゃらな話が主題になってしまったけどまぁいいか。原稿用紙たかが6枚ですよ。いつもと比べたら6枚なんて読むの余裕だね。

今月29日に発売されるロッキンにロングインタビューが載るらしいから、どんな制作秘話が読めるか楽しみだな。


次は安室さんのTSUKI

ほんとさ、TSUKIってなんでこうもスルメなんでしょうかね。噛み続けて早3年半。視聴が始まった当初なんて散々文句ばかり言っていて、(どっかで聞いたことあるようなメロディだなー、ジャケ写がアルミホイルすぎる、MVのCG感なんだよ実際の映像はアイスランドだけど安室さん行ってないし!しかもMVは壮大なのに歌詞が陳腐)映画の主題歌だったので「抱きしめたい」を観に行ったら、もぉおおおおお今まで発言をすべて一字一句に対してすべての制作者の方に土下座して謝りに回りたいぐらいに感動した。その話をしたら長くなるのでこちらからどうぞ。
Twitterボットはディーバの夢を見るか: TSUKI

TSUKIの歌詞の意味すべてを享受するには映画「抱きしめたい」を見ることが欠かせない。話はそれからだ。


自分が亡き後、生きていかねばならない愛する人へめいっぱいの愛を注ぎ、特に「出来れば大切に思えるような人と あなたらしく笑っていて」に対する想いが両者ともに辛い。

「出来れば」って言葉がとてもつなく優しくて、ずっと自分のことずっと愛し続けて欲しいけども、でも自分はもう何もできなくて幸せにしてあげれないから、自分のことを愛してくれている人に、無理かもしれないけども、せめて、出来れば、別の人を愛してと幸せになってと伝えている。優しさの辛さってめちゃ心に来るよね。

このことを深く理解できた要因というのが、亡くなってしまう主人公、つかささんの性格が大きく関わってくる。めっちゃくちゃ気が強いだよね、つかささんが。車いすに乗っているんだけども、障がい者だからってバカにすんじゃねーよって態度が随所に描かれている。その気の強さと同時に苦労だったり弱さ優しさが映画では描かれていて、そういったものを含みつつも幸せを願う言葉だけで綴られるTSUKI。抱きしめたいの続きの物語のようにも感じる。

 生きている気持ちを歌うヒッキーと先に行ってしまう気持ちを歌う安室さん。

交互に聴いていると、空に向かってぼんじゅーーーーる!って呼びかけているヒッキーがいて、



空の上から安室さんが抱きしめるのは無理だけど、幸せいっぱい降り注ぐように全力で祈ってるからと答える。

でも、青空で待ち惚けなんてことはしていないよ。(大空で抱きしめての歌詞の一部)なんていう掛け合いを想像して楽しんでいる。


かく言う私はヒッキーと同様に前者側の人間(リアルの安室さんは前者側でもあるけど)で、つい最近に身近な人を亡くし下界で悲しみに暮れながらジタバタする日々を送ってるわけだけど、頭上高くに鎮座しているであろう安室奈美恵神が、



「そなたたちに褒美をやろう」と、

25周年沖縄ライブグッズを振りまいてくれる日を今か今かと待ち望んでいる所存です。

よろしくお願いいたします。



安室奈美恵 / 「TSUKI」 - YouTube

TSUKI - EP
1,200円
(2017.07.25時点)
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サントリー天然水『水の山行ってきた 奥大山』篇 60秒 サントリー CM - YouTube

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