日本語で歌う好きな歌手を俯瞰してみたときに、安室さんとそれ以外の人、というはっきりとした境界線があって、それは好きの範囲の違いによるところが大きいのだけれども(安室さんは安室奈美恵全部が好き、ほかの人は歌が好き、人も好きだけどずっと見ていたいとかはない)その中で歌詞によるものが大きい。
うまく分類はできないのだが、歌を聞いて情景が浮かぶかどうかが大きなポイントになっている。
例えばヒッキーの「First Love」の冒頭「最後のキスはたばこのflavorの香りがした」は状況を語っているわけだけど、そこにはたくさんの情報が入っていて、何一つそうは言っていないけどこの歌詞からにじみ出る想いは、自分より(ヒッキーはこのとき10代)年上の男性と、少し背伸びをした付き合いのほろ苦い別れを感じるのではないかと思う。
例えばクラムボンのFolklore
高いビルの上から 街を眺めてた
風はまだすこし 移り気で
去り際のタイミングを つかみ損ねてる
隣の住宅のネオンが 陽炎のように 揺らいでた
こんな景色 見たことない 見慣れていたのに
加藤登紀子さんの檸檬
街の灯に迷い込んで さびしさにとまどう
どしゃぶりの雨の中 涙が止まらない
あなたのいない夜も朝も ひとりきりのこの部屋で
同じように生きている 私だけがいる不思議
物語的で、その情景が浮かぶような歌詞を好んで聴く傾向にあって、自分もその世界と一体になれる感覚がある。脳内で映画を見ている感覚や自分に置き換えたときの感情が想起される。
安室さんの歌で同じように感じる曲は2つしかなくて、それはFour SeasonsとNobody。
Four Seasonsは四季の移り変わりと同時に人の気持ちも重ねる儚さを感じ、安室さんの歌で初めて歌詞が好きになった曲だった。
Nobodyを初めて聴いたとき、考えてもしかたのない過去のことに想いは巡り続けていたり、この歌詞の時に、見たことないけど情景のイメージが見えたことでそれまで聴いてきた安室さんの曲となんか違うという思いになった。
この手のひらの上 指輪に舞い降りる
雪はすぐに溶けて痛みが残され
You wer always my everything
Our vells still keep on ringing'
あなたもこうして聞いてるのかな
ここで話は終わるはずだったんだけれども、そういえばDef Techはここに入らないことに気づき、考えて出てきたのが「思想」。思想となるとこのなかにワンオクも入る。
ベストセラーにもないっている「君たちはどう生きるか」の本のタイトルのように、生き方を問われ、導かれているように感じるのがこの2組。主張や言葉の発し方は異なり、ワンオクのように表立って漲る激しさはDef Techにはないけれども、その主張はワンオク同様に強く尖っている。
つい最近気づいたDef Techの歌詞ですげーーって思ったのが、All That's In The Universeの
この流れてる赤い血はヒマラヤからインドをつなぐガンジス
呼吸は風 エジプトの土は僕の肌 汗は海 雨は涙
(中略)
この流れでる青い血は
ゴビ砂漠から中国をつなぐ黄河
呼吸は風 アフリカの土は僕の肌 汗は海 雨は涙
赤と青は動脈と静脈で、人間の身体とその機能を大陸・地球に見立てている。
ずっと前から聞いていたのにこのことに気づいたのがつい最近で、この箇所をさらっと聞き流していたんだよね。疾走感あるメロディーの中に詰め詰めで乗っかっている言葉を意味ではなく語感だけで聴いていたんだと思う。
冒頭に戻り、安室さんとそれ以外の人たちでもう一つ大きな違いというのは、安室さん楽曲の帰結は安室奈美恵さんだけの物語として聴いてしまうこと。
時に元気づけられたりすることはあるにしても、そこには必ず安室さんをも感じてしまうのは、歌詞の制作に自身が関わっているとはいえ実際に言葉を紡ぐのは作詞家の方で、依頼内容でその制作過程は異なるにせよ、大前提にあるのは安室奈美恵さんが歌う歌詞であって、安室さん自身を思い浮かべることは必須だしそれを踏まえて作詞家自身の想い、それは安室さんにこういう言葉を発して欲しいとか、作詞家自身の思想を重ね合わせ、それらを安室さんに託し、託された言葉を安室さんが解釈をし表現しているからなのかもしれない。
また、CAN YOU CELEBRATE?やNEVER ENDは安室さんの人生とともに長く歌い続けている楽曲だからこそ安室さん自身を思い浮かべてしまうのだと思う。
と、この話になってくると冒頭の趣旨と変わってきてしまうので、また今度にするね。朝書くには時間が足らなすぎたなぁ。と思いつつも、この話って今までに何度かしているような気がする。