熊本の地震 - Twitterボットはディーバの夢を見るか

熊本の地震

2016/04/16 17:36

くまモン枕。
今年のお正月に母親が使っているのを見て、かわいーーー!とか言ったらいる?と聞かれてしまい即座にいる!と答えてもらってきちゃった。若い頃だったら 決してこういうキャラクターの枕なんて使うこともなかったのに、こういうの使えるようになったんだなー=歳を取ったと感じる今日この頃。

そして、昨日熊本を襲った巨大地震。iPhoneに届く防災速報を見る度に胸がつまる。Twitterを見に行ってみるとそこには地震についての速報や不安を募る言葉であふれていた。これはダメかもなぁと思い見るのをやめた。

このブログを読んでくれている九州及び近辺の方、親族・友人がその地方におられる方、全然違う場所だけど地震に不安になっている方へ。

このブログを好きで読んでくれている方というのは、ほんの少しでも私と似ている部分があるのではないだろうかというところから、ごくごく個人的なことだけど、私が2011年の東日本大震災の時に起きた身体の変化について記したいと思います。

結論から言うと、感情の揺さぶりを少しでも感じ始めたら、SNSから真っ先に距離を置き、情報が気になるのでせめてテレビだけ見ていたほうが良いということです。よく言われることではありますが、実際に私は息をするのさえ苦しくなるような体験をしました。

東日本大震災がどうだったのかはもうすでに周知の事実なので省きますがあの日、電話が繋がらない状況で、Twitterは本当に大いに役に立ちました。当時よく会っていた友人たちはみなTwitterをやっていたことから地震が発生した1、2時間の間でほほ安否確認が取れ、また、もうすでに当たり前になっている事象ですが、刻一刻と変わる状況もリアルタイムで情報が入ってくるわけですからiPhoneが手放せませんでした。

私はあの時、iPhoneでもパソコンでも被害の情報や原発のことについて写真や動画をたくさん見ており、でもしばらくすると被害が酷い写真ばかりを見ようとしてるのにも気づきました。9.11の同時多発テロのときに、映画を見ているようだと思ったように。

そんな中、余震は続きその度にビクビクしながらもTwitterに行って地震速報やみんなのツイートを見ると、私だけじゃなくみんな怖かったんだと感じることによってとても安心していました。でも沢山の人がいるからこそ、たくさんの意見が飛び交う場所でもあるため、一人ひとりの意見、言わばたくさんの正義がいたるところで掲げられていました。そして、Twitterの特性上、単純に1フォロワーではなく、RTという仕組みから1人の人から10人ぐらいの意見をいとも簡単に見れてしまうのがTwitterです。

それを見ていた私は1日に2,3度、鼓動が速くなり、喉元が狭くなるような感覚が訪れ空気が入ってこなくなり、深呼吸すると胸が痛い。吐くことでやっと空気が入る。鼓動が激しくなり胸に手を抑えてしばらくじっとしていないと収まらないような、身体の不調を来しました。

それまでは、自分もたくさんのことを発信しデモに行くだの行かないだの逃げる逃げないなど語っていたけど、身体の変化が出てきてからはあまり情報を見るのをやめて、発言も控えるようになりました。どれぐらいの期間で治ったのか今では覚えていないけど、今はもう同じような身体の変化が訪れることはなくなりました。

あのときに感じた情報の渦に対して、自分は当事者だったし、原発のことがあったから決して同じではないけど、デマやメディアに対しての憤りはあのとき語れていたことと同じことが繰り広げられているように思います。自分にはもう免疫があるから見ても大丈夫だろうという気持ちが少しあるけど、でもいつ心が揺らぐか分からないから距離を置くのが1番だと思っています。

心は身体に強く繋がっているということを、あの時に深く深く感じました。気づかないうちに身体はSOSを出していて、身体が悲鳴を上げるまで私はそれに気づかなかった。もちろん、Twitterだけではなく余震の恐怖が原因であったとも思いますが、でももし少しでも情報を見て疲れたなと思ったらどうかSNSから距離を置き、大切な人と一緒にいたり、リラックスできる自分の好きなことができる環境に身を置けるよう祈っています。

って、なんか、読み返して思ったのが、これって今自分がTwitterをあまりやらない理由なんじゃないかしら。そっちが本当は書きたかったのかな私。いやきっとどっちもなのかもなぁ。でも元気だよ。Twitteボットをそろそろ復活させたい。
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